1940年代【2】
発足間もない日本プロ野球界の中で、大阪タイガースは球界を代表する球団であった。しかし、球団も球界全体も歴史の波には抗えず、多くの名選手が戦争に応召され、そして多くが戦死していった。
興行自体が存続の危機の中で、プロ野球界は1944年まで実施された。終戦明けて1946年から、すぐにプロ野球は復活した。まだ、甲子園球場も接収されたままであり、多くの選手が散り、各球団とも戦力がなかなか揃わない環境であった。しかし、野球みる社会の視点も大きく変わっていた。
1944年
チーム成績
35試合 27勝 6敗 2分 .818
順位
1位
監督
若林 忠志
タイトル獲得者
投手
若林 忠志 (最高殊勲選手/最優秀勝率投手22勝4敗.846/最優秀防御率投手1.56/最多勝利投手22勝4敗)
野手
呉 昌征 (盗塁王19盗塁)
藤村 富美男 (打点王25打点)
記録達成者
なし
その他特記事項
5/1-7/10 10連勝を記録(2分挟む)
8/30 夏季連盟戦で優勝
この年の個人成績はコチラ
1945年
戦時中のため中止
12月藤村 富美男 監督に就任
1946年
チーム成績
105試合 59勝 46敗 0分 .562
順位
3位
監督
藤村 富美男
タイトル獲得者
投手
なし
野手
金田 正泰 (首位打者.347)
記録達成者
6/16 呉 昌征 ノーヒットノーラン(対セネタース戦)
その他特記事項
3/25 タイガースと名乗る
4/27 8球団総当たり、1年1シーズン制のペナントレース開幕
6/24~7/21 14連勝を記録
9/1 チーム500勝(対阪急戦)
12月 若林 忠志 監督に就任
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1・2・3