1940年代【3】
発足間もない日本プロ野球界の中で、大阪タイガースは球界を代表する球団であった。しかし、球団も球界全体も歴史の波には抗えず、多くの名選手が戦争に応召され、そして多くが戦死していった。
興行自体が存続の危機の中で、プロ野球界は1944年まで実施された。終戦明けて1946年から、すぐにプロ野球は復活した。まだ、甲子園球場も接収されたままであり、多くの選手が散り、各球団とも戦力がなかなか揃わない環境であった。しかし、野球みる社会の視点も大きく変わっていた。
1947年
チーム成績
119試合 79勝 37敗 3分 .681
順位
1位
監督
若林 忠志
タイトル獲得者
投手
若林 忠志 (最高殊勲選手)
御園生 崇男 (最優秀勝率投手18勝6敗.750)
野手
藤村 富美男 (打点王71打点/ベストナイン)
金田 正泰 (ベストナイン)
記録達成者
7/17 御園生 崇男 100勝(→127)
11/3 若林 忠志 200勝(→237)
その他特記事項
5/23~6/7 11連勝
5/26 甲子園球場にラッキーゾーンを設ける
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1948年
チーム成績
140試合 70勝 66敗 4分 .515
順位
3位
監督
若林 忠志
タイトル獲得者
投手
なし
野手
藤村 富美男 (打点王108打点/ベストナイン)
別当 薫 (ベストナイン)
記録達成者
8/24 梶岡 忠義 ノーヒットノーラン(対南海戦)
10/2 藤村 富美男 サイクルヒット(対金星戦)プロ野球初
その他特記事項
なし
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1949年
チーム成績
137試合 65勝 69敗 3分 .485
順位
6位
監督
若林 忠志
タイトル獲得者
投手
なし
野手
藤村 富美男 (最高殊勲選手/本塁打王46本=新記録/打点王142打点/ベストナイン)
別当 薫 (ベストナイン)
記録達成者
4/16 金田 正泰 サイクルヒット(対南海戦)
11/13 若林 忠志 500試合登板(→528)
その他特記事項
12/15 セントラル連盟発足
12/31 若林 忠志、別当 薫ら、毎日に引き抜かれる
12月 松木 謙次郎 監督就任
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1・2・3