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2000年代の外国人選手【5】

正直、JFKの一角として有名なウィリアムスを獲得するまでは、まともな選手はいなかった印象。前半は90年代の暗黒期をそのまま引き継ぐかのように外国人選手も暗黒の時代でした。
星野監督が就任してから、変わったのかな~とは思うがフロントの陣容も変えてほしいと心の底から思う今日この頃。。

ライアン・ボーグルソン

最速158キロでコンスタントに150キロ超えという評判だったが、看板に偽りはなかったと思う。常に150キロを超えていたわけではないがストレートの球速帯は145キロ~152キロくらい、先発でこの球速は日本人投手ではなかなかいない。
ボーグルソンが在籍していた時期は先発投手の不足していた時期だったので当然先発で起用される。でもボーグルソンは何故かイマイチな出来だった。

一応先発ローテでまわるのだがイマイチぴりっとしないのだ。球は速いし、自分で打って勝った試合もあった。でも抑えて波にのるかと思ったらあっさり打たれたり何だか安定感がなかった。能力的には日本で先発として活躍できるだけのものが十分あったと思う、実際スタンリッジやメッセンジャー、広島のルイス、バリントンなど後に活躍した外国人投手たち級の力は保持していたと見る。

阪神球団も潜在能力があると見たからこそ2年目の契約を結んだのだろうし、微妙な成績で阪神を退団したボーグルソンをオリックスが獲得したのもその潜在能力を見込んでのことだろう。主に中継ぎをしていたオリックス時代のボーグルソンを何度か見たが投げている球はえげつなかった、普通に150キロ台半ばが出ていた・・・その試合だけを見ると十分ストッパーが務まるんじゃないかと思えるほどだった。しかし最終的な成績は伴わない、オリックスでも防御率4.54という微妙な成績に終わり日本での生活を終えたのだった。

ボーグルソンが日本で成功しなかった原因は何だったのだろう?投げることができる球そのものは十分すぎるほどっだったのでメンタル面がイマイチだったということだろうか?よく分からん・・・。ちなみに美人の奥さんがオマリーと一緒に「甲子園球場には駐車場がアリマセン~」とサンテレビでやっており、ボーグルソンの速球よりそちらの印象の方が強い阪神ファンも多いだろう。

スコット・アッチソン

最初は先発投手として起用されていたがスタミナ不足が発覚して2軍行き。確かに序盤はいいピッチングをしていても5回、6回に急に打たれ出すことが多かった。シーズン終盤にお試しで先発起用されて、そこで結果を出せなかったら1シーズン限りで解雇コースかなぁと思っていたら、夏場に1軍に戻ってきたアッチソンはリリーフ投手に転身していた。メジャーでも中継ぎ専門の投手だっただけあってなかなかのピッチングを見せ契約が更新される。

2年目のアッチソンは「素晴らしい」の一言だった。キレのあるストレートと落ちる変化球の制球が素晴らしく外角に完璧にコントロールされていた。この年のアッチソンの安定感は正直JFK以上だったと思うし、個人的には巨人でストッパーとして活躍していたころの上原と被る。圧倒的な球威こそないが、抜群のコントロールと落ちる球で打ち取る姿は上原そっくりだった。不調の久保田、ウィリアムス、その他中継ぎ陣の穴を一人で埋めたと言ってよいほどで「鬼神の如き活躍」と評しても大げさではないだろう。またイタリアン・マフィアのようないかつい風貌はセットアッパー・ストッパーにぴったり合っていた!

できれば残留してもらって8回アッチソン、9回藤川という最強投手リレーを何年も見たかったがメジャー志向が強く帰国してしまった・・・とても残念な気持ちになったのを覚えている。

クリス・リーソップ

2008年シーズン半ばに中継ぎ投手として緊急補強され阪神入団。初登板から150キロ台の直球を連発して阪神ファンを大いに喜ばせたが、ぬか喜びさせただけだった。シーズン終盤の勝負所で先発でも起用されたが全く機能せず、派手な登場の仕方とその後のダメダメぶりは99年のミラーを思い出させた。

何故か複数年契約を結んでいたため翌年も在籍していたが、大方の阪神ファンの予想通り全く活躍せず・・・というより1軍での登板機会が1試合もなくお去りになられた。しかし、帰国後2010年~2012年の3シーズンでメジャーで中継ぎとして160試合に登板して「お前阪神時代にその力を見せんかいなっ!」と全国の阪神ファンを悲嘆にくれさせた。

ルー・フォード

キンケードやスペンサーに次いで「メジャーでそこそこ実績のある右の外野手」として「そこそこ高い年棒」で加入。メジャーでは走攻守そろったハッスルプレイヤーだったがどう見ても人のよさげなアメリカの普通のおっさんにしか見えず、打席での威圧感のなさや守備走塁時のドタバタ感を見るとメジャーで「打率2割9分9厘 ホームラン15本 打点72 盗塁20」という成績を残した選手とは信じられなかった、シーズンに入っても打線の中では完全に安全パイであった。

阪神打線の中では基本的に7番を打っていたが、7番としても物足りない成績しか残せず、最終的には葛城や高橋光信あたりより打撃の格付けが下になってしまった。守備・走塁も大したことがなく、4月の終わりころにはスタメンから名前が消えていた。

日本で残した成績自体はキンケードやメンチあたりより上かもしれないが、打席での雰囲気はほとんどなく、テレビで見ていても全くワクワク感がなかった。あんまし野球と関係ないが、ウィキペディアによれば高い知性の持ち主でコンピューターにも通じているとのこと

アーロム・バルディリス

阪神にはテスト入団で最初は育成枠だったが2軍でスケールの大きなプレーを披露し、1年目の5月には早々と支配下登録を勝ち取った。しかし、2軍では主軸を担えるレベルだった打撃も1軍ではまだ通用しない状態、打撃だけの選手なら2軍降格となるのだろうが、ダイナミックな三塁守備、真面目な性格、若さゆえの将来性(25歳だった)もあって常時1軍で起用される。岡田監督は将来の三塁レギュラーと考えていたふしもあり育成込みでの起用であったと考えられる。

岡田監督が辞任しなければ、恐らくバルディリスは翌年も常時1軍で起用され、レギュラーとはいかないまでもかなりの出場機会を与えられたであろう。しかし、新任の真弓監督の新井三塁コンバートによりバルディリスの阪神での未来はなくなった。新井が三塁を守り、空いた一塁にブラゼルを起用することによって阪神打線の破壊力は増したと思う。
しかし、新井の拙い三塁守備とブラゼルの鈍足は阪神にとってもろ刃の剣であったっとも思う。個人的には一塁・新井で三塁を関本、今岡、バルディリスやその他若手で争う形にしたほうがチーム全体に活気があったと思うし、長い目で見れば良かったのではないかと思う。確かにマートン・平野・鳥谷・新井・金本・ブラゼル・城島・桜井と並んだ打線は破壊力はあったが、かつての巨人打線を彷彿させ、破壊力にしても長くは続かないだろうなと思わせた。まぁなんやかんやで出番のなくなったバルディリスは2009年限りで阪神を退団しオリックスに移籍してしまう。

その後はオリックスでレギュラー選手に成長し、2014年現在はモバ浜でもうワンランク上を目指して奮闘中。現在の攻走守だが打撃はレギュラー三塁手としては平均くらい、そこそこ長打力はあるが打席での威圧感はそこまでではない。走塁についてはあんまり足の速い選手じゃないのでそこまで期待できない。守備はダイナミックで華麗だがエラー多し、エラーが毎年1ケタになればゴールデンクラブも狙えると思うのだが、全ての面でワンランクアップして「打率3割前後、ホームラン20本前後を常に打ち、勝負強い打撃で毎年100打点超え」そんな選手になってほしいと思う。

恐らく日本球界に骨を埋めるつもりだろう。数年後にはFA権をとって日本人扱いにもなるし、スター選手になって大活躍してほしい。

ジェン・カイウン

「150キロを超えるストレートとスライダーが武器の右の本格派・超有望な若手!」みたいな感じで日本にやってきたジェン。「そんな将来有望な若手が阪神に来てくれんのかぁ~21歳ってことは10年くらい活躍してくれそうやなぁ~」と思いながらジェンの初登板を見た・・・ジェンは技巧派だった。別に技巧派が悪いわけではないが150キロのストレートを期待していただけにあまりの落差にガクッときてしまった。

1年目のジェンの印象だが、投げ方はオーバースローというよりスリークォーターでストレートの球速帯は138キロ~144キロくらい、落ちる変化球を低めに集めて打ち取るタイプで三振を量産するタイプではなかった。そこそこ制球力があるため試合は作ることができるし、悪い投手ではなかったが大きな特徴がなかったため他の外国人選手が調子が悪い時くらいしか出番がまわってこなかった。そんな感じで1年、2年と過ぎ去っていった。

自身でも「自分の特徴の無さ」を自覚していたのであろう、ジェンはさらに腕を下げてサイドスローに転向する。球速は落ちたが制球力、スライダーなどの変化球のキレは向上して2軍では敵無しの状態になり1軍に昇格する。サイドスローになったジェンの印象だが「谷間の先発やロングリリーフは十分務まるな」と感じた。当時阪神には変則タイプの右投手がほとんどおらずジェンは貴重な戦力になれるだけの力はあったと思う。
しかし、やはりジェンの前に外国人枠の壁が立ちはだかる。メッセンジャー、スタンリッジという2助っ人が先発ローテーションの座をがっちりとキープ、ジェンが1軍で十分通用する力があるといっても先発ローテーション投手、ストッパー、セットアッパーという外せないポジションではない、セリーグでも指折りの両先発右腕には敵う術がなかった。

2012年限りでジェンは阪神を退団する、これは解雇されたというより「阪神におっても出番ないから枠が空いてる他球団で頑張りなよ」という感じだったと思う。

ケビン・メンチ

メジャー通算89本塁打で1試合3本塁打や7試合連続本塁打を記録するなど、2002年から2007年あたりまではメジャーリーグでも活躍した選手で31歳と年齢もそこまで高くなかったため大いに期待された。「阪神右の外野手の呪い」を解除する存在になるかと思われたが、実際には一番呪われた選手だった。その呪われっぷりはキンケード、スペンサー、フォードらがまともな選手に見えるほど。

見た目はいかつくて、打席での雰囲気もフォードより余程威圧感があったが、ピッチャーが球を投げるとフォード以下の打撃能力しか発揮できなかった。何というか軸がブレブレな感じでストレートも変化球も何にも対応できないという酷い状態だった。特にストレートは145キロ出ていればコースが甘くても打ち損じるという有様で「おめえメジャーでどうやって89本もホームラン打ったんじゃ!?」と強く思わせた。

当然のごとく4月中に2軍行きとなったが、ウエスタンリーグで9打数8安打という好成績を残し貧打のテコ入れとして5月に1軍に復帰したが、「貧打テコ入れ」どころか「貧打を促進」となってしまいわずか3日で2軍に逆戻り。どこまでも使えない助っ人であった。

恐らくメジャーでも使い物にならない状態になってから日本に来たということであろう。阪神が自前で獲得する外野手はあまりのダメっぷりを印象づける選手であった。
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