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2000年代の外国人選手【3】

正直、JFKの一角として有名なウィリアムスを獲得するまでは、まともな選手はいなかった印象。前半は90年代の暗黒期をそのまま引き継ぐかのように外国人選手も暗黒の時代でした。
星野監督が就任してから、変わったのかな~とは思うがフロントの陣容も変えてほしいと心の底から思う今日この頃。。

ルー・ポート

シーズン当初の構想では外国人の投手枠は3人で、ムーアが先発、ウィリアムスがセットアッパー、ポートがストッパーだった。ポートはエンゼルスで日本に来る前の4年間継続して中継ぎとしてそこそこの成績を残していたため大外れはないだろうと思われていたし、ストッパーも十分務まると見られていた。

しかし、シーズンが始まるとポートはボロボロに打たれる、もうどこを修正していいか分からないくらいのレベルだ自慢の150キロ近い速球はピンポン球のように弾き返されるし手の施しようがない。よくこれでメジャーで中継ぎが務まったな・・・

同期入団のウィリアムスよりメジャーでの実績は上で、期待されていたが、150キロの直球と落差の大きいカーブはほとんど披露されずに終わった。エンゼルス時代の同僚・長谷川投手から日本の情報を収集していたらしいが、恐らく収集しただけで分析できていなかったのであろう。

ジェフ・ウィリアムス

2003年(阪神優勝年)に来日した当初はセットアッパーだったが、ポートが使い物にならないことが発覚したためすぐにストッパーに。この時のウィリアムスは後年のような速球派ではなく、どちらかといえばスライダーピッチャーだった。ストレートも遅くはなかったが130キロ台後半から145キロくらいが中心、それより真横から投げるスライダーの切れ味、曲がり具合が凄まじく、右打者が空振りした球が体に当たるということが何回もあった。

2003年がスライダー版ウィリアムスの全盛期であるとすれば、2005年から2007年の3年間は速球版ウィリアムスの全盛期だった(JFKのJの時代である)。日本に来たばかりの時は真横から投げていたが(まさしくサイドスローという感じだった)、だんだんと腕の位置が上がっていき、JFK時代にはサイドスローとオーバースローの間の位置くらいになっていた。それによってスライダーの曲がり幅は小さくなったが、ストレートの威力がかなり増したのだ。全盛期のストレートの球速帯は146キロ~154キロくらいだったと思う。そのストレートと切れ味鋭いスライダーを角度をつけて投げ込んでくる・・・打てるわけねぇな。
他球団からすれば久保田・ウィリアムス・藤川のJFKの並びは悪夢に近かったのではなかろうか。単年の成績だけならJFKを超えるリリーフトリオは度々出てきているが「存在感」でJFKを超えるトリオはまだ出てきていないと思う。

その能力はもちろんだが、顔も映画俳優のようなイケメンで性格も良さそう。またブルペンではまとめ役として若手リリーフ陣を束ねるなどその存在感は抜群で、阪神ファンからもかなり愛された助っ人だった。ドーピング疑惑が出たこともあったが「ウィリアムスはやってないだろう」「やってても許す」という感じで阪神ファンの彼への愛情に変化はなかったと思う。

リベラ、スタンリッジ、メッセンジャーなども素晴らしいがウィリアムスのインパクトと存在感には敵わない。今でも阪神の駐米スカウトをやったり、ウィンターリーグの引率役をやったりと阪神との関係は切れていない模様。

ジェロッド・リガン

ポートがポンコツであったためシーズン中に急遽獲得。初見では「球威はあるが制球がイマイチ、どこまで通用するのかな?」と疑念の目で見ていたが、するするっとセットアッパーに定着し防御率は堂々の1.51。「まさかここまでやるとは・・・」とファン一同を驚愕させた。

長身から全身を活用して思いっきり投げている感じで投げ終わった後は多少バランスを崩しており、制球もそこまでよくなかったが、多少コースは甘くても思いっきりストレートや変化球(スライダー系統が主か)を投げ込んで打ち取っていた。球速表示は出ていたが三振を多くとるタイプではないし、そこまで厳しいコースに球がいっているわけでもないのでバットには当たるのだが何故かヒットやホームランにはならないという不思議な投手だった。「これが重い球というやつなのか!?」と思ったりもしたが真偽は不明だ。

年齢も若く(退団時30歳)、これからタイガースのリリーフ陣をウィリアムスと二人で支えてくれるのかと思っていたが肘の手術をすることになり退団。その後の活躍の噂を聞かないので恐らく球威が戻らなかったのだろう。また、もしリガンが怪我がなく阪神リリーフ陣の一角として機能していた場合JFKが生まれなかった可能性はある。

ラモン・モレル

阪神入団の前年に台湾球界で23セーブで防御率0.90という凄まじい成績を残していたため、スポーツ新聞などでは「150キロの剛球が武器のストッパー候補」みたいな書かれ方をしていたが阪神ファンはけっこう懐疑的だったと思う。「そんな凄いヤツが年棒2000万円で来るのか」「台湾での防御率0.90やからなぁ・・・だって台湾てあの中込がエースやれてんやろ」「150キロは瞬間最大風速やろ」今まで前評判倒れが多かったため学習したのであろう。

やってきたモレルはそこそこの投手だった。150キロはやはり滅多に出ない最大風速で、だいたいは140キロ台前半。柔らかそうな投球フォームからスライダーやチェンジアップを投げ込み、制球はそこそこ良い。
ただし、球威は並で凄い変化球はないので三振をとるタイプではない・・・2軍レベルではないが1軍ローテーションに入れるには力不足、かと言って勝利の方程式入りするほどの球威や特徴もないという非常に中途半端な投手だった。外国人枠の選手に敗戦処理やロングリリーフをさせておくほど余裕があるわけではなかったので1軍での登板は限られてしまう、限られた登板の中で勝ち星なしの防御率3.67という非常に「らしい」成績を残し1年で退団していった。

トレイ・ホッジス

緊急補強で来日。タイプ的にはヤクルトで活躍した兄・ケビン・ホッジスと同タイプだが兄をしょぼくしたような感じで8試合に先発して2勝をあげるにとどまった。
長身からの多彩な変化球が武器で、大きな変化で三振を奪うというよりは、微妙な変化でゴロアウトを重ねていくタイプ。来日初登板では無失点で勝利投手となり「珍しくまぐれ当たり補強か!?」と阪神ファンを喜ばせたが、得意のムービングボールがムービングしないことが判明しボコボコに打たれ出した

ロドニー・マイヤーズ

確かリガンが怪我で離脱したためセットアッパー候補として緊急補強した選手だったと思う。パワーピッチャーという触れ込みだったはずだがどの辺がパワーピッチャーかよく分からなかった。最終的な成績はモレルと同レベルで「別にマイヤーズ補強しなくてもモレル使ったら良かったじゃん」となってしまった。

阪神ファンでも覚えている人が少ない希少価値の高い助っ人だと思う。

マイク・キンケード

メジャーでそれなりに活躍していただけあった打撃・守備・走力ともがそれなりのレベルで揃っており当初は「当たり外人」かと思われた。実際に打席でもある程度の雰囲気があり中距離法としてそこそこ活躍するのではないかと思わせ、守備では三塁・外野・一塁・捕手を守れるユーティリティープレイヤーで実際に三塁と外野は無難にこなしていた(実戦で捕手やってるのは見たことがないが)。走塁面でも「キンちゃん走り」など全力疾走を怠らず、外国人選手にしてはなかなかの走力だったと思う。

ただし、シーズンが始まると「当たり外人」ではなく「当たり屋」(死球)であることが判明、しかも「ただの当たり屋」でなく「最凶の当たり屋」であった。死球のペースが8.5打席に1つという異常なハイペース、出場26試合で12死球を受けていたので2試合に1死球のペースだ(泣)ベースに近くに立っている上に内角球をよけず、またよけないどころか自ら足を出して当たりにいくという鬼畜ぶりを発揮。阪神ファンは試合そのものよりキンケードの死球に注目するという異常な状態に。

最終的には死球が原因で離脱し日本での成績は打率233ホームラン3本に終わってしまった。身体能力は高く、ある程度の打撃力はあったと思うので当たり屋稼業を廃業していればそれなりの成績を残したような気もするが、そんな真面目なキンケードは誰も見たくなかったに違いない。
12・3・45

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