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2000年代の外国人選手【2】

正直、JFKの一角として有名なウィリアムスを獲得するまでは、まともな選手はいなかった印象。前半は90年代の暗黒期をそのまま引き継ぐかのように外国人選手も暗黒の時代でした。
星野監督が就任してから、変わったのかな〜とは思うがフロントの陣容も変えてほしいと心の底から思う今日この頃。。

イバン・クルーズ

メジャーでの実績はほとんどなかったが3Aでの活躍が評価されてけっこう高年齢(33歳)だったが獲得。オープン戦では大活躍して「バースの再来」ともてはやされながら開幕を迎えた。開幕はもちろん4番です。シーズン開始後もバース並の長打力は見せるのだが、ミート力が大豊並であることが発覚し低打率にあえぐ。特に巨人戦での活躍が多く、放った14本のうち半分の7本は巨人戦。東京ドームでは1試合3本塁打なんて試合もあったりしたが、チームは敗れるそこそこの力はあったと思うのだが、チームが弱すぎたためあまり目立たなかった。

打席ではごつい体で威圧感があり、打撃フォームもけっこう柔軟そうで変化球にも対応できそうに見えた。もう少し成績を残せるような気もしたのだが・・・クルーズ以外に長打力がある打者がいなかったから警戒されてしまったのだろうか?3番、4番がしっかりしているチームで5、6,7番くらいを打てばそれなりの成績を残せたような気もするが・・・まあ当時の弱体阪神を一人で何とかするような力はなかったということだろう。

ちなみに一応外野を守れるということだったのでレフトを守っていたこともあったが、外野の守備力は外野を守っているペタジーニあたりと大して変わらないのでやめたほうがよい。と言うよりクルーズを外野にまわしてまで使いたい一塁手はいなかったと思う。

日本球界で爆発する可能性が十分にあった素材だっただけに残念。もうちょっと若い時に来てたら良かったかなと思った選手でした。

エドゥアルド・ペレス

メジャー通算37本塁打とクルーズを大きく上回る実績を持っていたが、キャンプ、オープン戦ではクルーズが打ちまくり置いてきぼり。シーズンに入ってからもほとんど調子が良い時期がなく打率は2割をちょっと上回る程度で終始した。中日・岩瀬からサヨナラ安打やホームランを放つなど一瞬の輝きを見せたこともあったが、本当に「一瞬」でしかたなかった。

前年の同タイプのバトルに比べればはるかにマシだったし、打ちそうな雰囲気もあったがほとんど成績を残せなかったのは何故なのだろう?翌年以降メジャーで複数年にわたって戦力になっていることから、「日本をなめてたんじゃないか疑惑」「やる気がなかった疑惑」「ケガしてたんじゃないか疑惑」などがささやかれている。

トム・エバンス

メジャーでの実績十分だったはずのペレスがとんだくわせものであることが判明したため緊急補強。長身のイケメンで年棒もそんなに高くなかったが、打撃はペレスより少しマシなだけであった。打撃フォームも何だか力感がなく、懐の深さも感じられなかった。助っ人っぽい威圧感とは無縁の存在だったと思う。管理人の中では打撃は塩谷と同レベルくらいだろうから、エバンスを起用するなら日本人の若手を起用したほうがいいんじゃないかくらいに思っていた。ただ、なかなかのナイスガイで真面目そうだったので阪神ファンからはけっこう好かれていたと思うし、翌年の契約も勝ち取った。成績的にはアウトだと思われるが、伸びしろ、年棒、年齢の若さ、真面目さなどが評価されたのであろう。

翌年はアリアスとホワイトが1軍で起用され、また1軍の一塁、三塁がアリアス、片岡で埋められていたゆえに出番は来ず、西武にトレードされる。だが、エバンスはここで予想外の活躍を見せる。阪神時代には見せなかった長打力を発揮し15本塁打を放つのだ。正直、阪神の1軍にいたころのエバンスは長打の匂いがしなかったので非常に驚いた、阪神2軍時代に変化したのだろうか。この年は三振こそ多かったものの出塁率も結構高く西武に残留するかと思われたが、同ポジションのライバルマクレーンがケガから復帰したためあえなく解雇となった。日本向きの選手だったと思うので、どこかの球団が契約してほしかったがオファーはなかったみたいだ。

トレイ・ムーア

メジャーではくすぶっていたものの3Aでそこそこの成績を残していたムーアは先発ローテを期待されて阪神に入団。正直そこまで際立った球を投げていたとは思わないのだが、左腕で球速、コントロールともそこそこあったり、また多少変則気味なフォーム(基本スリークウォーターたまにサイドスロー)と謎の変化球SSS(スーパー・シークレット・スライダー)などを駆使して井川に次ぐ先発ローテーション投手として奮闘した。夏場の失速はあったが180イニング投げて防御率3点台前半は助っ人として合格点であろう。2年目も2ケタ勝利をあげたものの内容は1年目より悪くなっており、1年目同様の夏場の失速も繰り返したため、伸びシロなしと判断されたのか自由契約となった。そして翌年オリックスで阪神フロントの判断が珍しく正しかったことを証明された。
投手としてもそこそこ合格点の成績を残したムーアであったが、それ以上に印象深いのその打撃力。9番を打っていたが、8番打者にバントさせてムーアに打たせるなんてシーンもあった。打撃フォームやスイングの速さも明らかに投手のそれではなく、後々阪神で活躍するフォード、メンチ、コンラッドあたりより打席での威圧感は上であった。クリーンナップを打てるとまでは言わないが、6番あたりを打っていても違和感がないほどの長打力、ミート力があったと思われる。と言うより秀太、藤本らへんはもちろん、一塁の控えであった広沢あたりより打撃力は上だったような気がしたが言い過ぎだろうか。
ちなみにジャパン通算打率は105打数31安打11打点の打率295、また2003年は脅威の打率326・・・。他球団の打者ではなく、他球団の投手を震え上がらせた珍しい助っ投だった。

そのファイティングスピリットに溢れたプレイスタイルや圧倒的な打撃力、お立ち台などはもの凄〜〜〜く魅力的だっただけに、ピッチングがあまりパッとせず解雇されたのは非常に残念だった。ただし、あの投球スタイルは在籍2年で限界も見えてきていたので仕方ないか。ただ移籍先がパリーグとは、打席に立てないムーアは魅力が半減するのだが。。。

マーク・バルデス

星野組長ルートで入団し、防御率1.54で22セーブ。成績は素晴らしかったが成績ほどの存在感や威圧感はなかったと思う。ストレートの球速表示は150キロ近く出ていたが空振りを取れる球ではなく、多彩な変化球や破綻のない制球をもって打たせて取るタイプ、安定感はあったが相手に絶望感を与えるレベルではなかった。

シーズン開始直後はここまでの成績を残すとは全く思っていなかったが、あれよあれよという間にストッパーに定着し見事な成績で「星野組長の眼力(ルート)恐るべし」を印象づけた。しかし、シーズンオフにはまさかの解雇で星野組長の助っ人への要求の厳しさを知らしめた。それにしてもこれだけの成績を残した助っ人をあっさり解雇する思い切りの良さは尋常じゃないと思う。バルデスの性格に難があったとか凄い高年棒要求していたというわけでもなかったと思うので、かわりに獲得した助っ人が全然ダメでバルデスが他球団で活躍したら凄く批判されただろう。

ちょっと小太りな体系、丸〜いお顔とつぶらな瞳、何故かかなり整えられているモミアゲ・・・バルデスはコミカルで優しそうな助っ投だった。確かに最終回のマウンドに仁王立ちするストッパーとしては役不足だったかもしれないが、立派な成績を残したよい助っ投でした!

ジョージ・アリアス

オリックスでは2年連続で外個人に求められる最低ラインをクリアしたが、年棒でもめたのか阪神に移籍。移籍1年目には打率258・本塁打32本という何とも形容し難い微妙に合格点な成績を残し阪神ファンを微妙に喜ばせた。全くの期待外れの外国人野手が続いていたため阪神ファンからしたら十分な成績のはずなのだが、年棒の高さと勝負弱さが微妙な喜びにつながったと思われる。

翌年(阪神優勝年)には38本塁打・107打点と日本キャリアハイの成績を残すが、アリアスの調子や能力自体は前年とそんなに変わっていなかったと思う。打線全体の調子が良かったからマークが分散したという点、みんなが滅多打ちにした後のノックアウト寸前の投手や先発ノックアウト後に出てきた敗戦処理の投手の相手が多かったという点あたりが要因だったんだろう。管理人の考えでは、アリアスは基本打率250、本塁打30本の打者でチーム状況によって成績が多少プラスされるというイメージだ。

3年目のアリアスは最終成績では25本塁打に終わったが、実は阪神在籍の3年間で一番良かったのではないかと思っている。序盤は打率が3割を超えており、今までの引っ張り一辺倒から進化した印象を受けた。しかし腰痛の影響から離脱、不調に陥りこの年限りで退団。チームの構成上の問題ではあるといえもう少し見たかった。

打席では意外と小さく見えて(身長は180センチ)、外国人打者特有の威圧感はあまり感じない。打てるゾーンはある程度限られておりど真ん中のスライダーが得意で、レフトスタンドに豪快に叩き込む、でも外角のスライダーは三振しちゃう。あまり勝負強さはなく点差が開いた試合でよく打った・・・・よく考えたら「とどめの新井さん」に近いかも(笑)また好不調の並が激しすぎてクリーンナップを打たすには適しない、でも6番7番あたりに置くとチーム一の長打力とそこそこのミート力で恐怖の打者になる。守備は意外と堅実で一塁守備、三塁守備ともにそれなりのレベルで肩は強い、足は速くはないが超鈍足と言うほどではない。性格は非常に真面目、でも熱い一面もあり巨人・入来をボコボコにしたことも。こんな感じでアリアスは欠点と長所が入り混じり、頼りになりそうで頼りにならない、でも頼りになる不思議な助っ人だった。阪神ファンからもそこまで頼りにされていなかったと思うがかなり愛されていた選手だと思う。

年棒は高かった。2004年の年棒は3億円を超えていたと思われ、アリアスの成績から考えると「高額すぎ」と言われても仕方ない。退団は残念だったが金銭面から考えればやむを得なかったのかもしれない。

デリック・ホワイト

キャンプ中の入団テストで獲得しただけあって星野監督の好きそうな選手。見た目が格闘家のタイソンに似ていたことから「トラのタイソン」などと呼ばれ、そのごつい体といかつい風貌で他球団の投手を威圧していた。その威圧感も手伝ってかシーズン序盤は高打率をキープ、4月前半には4番を務めたりもした。ただし、徐々に見た目はタイソンだが実際はペレス、バトルと大して変わらない戦闘力しか有していないことが判明して全く打たしてもらえなくなった。それでも選手層や補強が上手くいっていなかった阪神にあってはけっこう起用されたが5月になるとクリーンナップを外れ、6月になるとスタメンを外れ出し、7月以降はほぼ消滅した。

非常にパワーがある選手だったと思うが、放物線のあるホームランを放つ長距離砲ではなくライナーの打球が多かった気がする。打ち方もガチムチの上半身主導で下半身を上手く使えていない感じで、ありあまるパワーをボールに伝えきれていなかった気がする。ダイビングキャッチなどのハッスルプレイもよく見られたが外野守備はお世辞にも上手いと言えなかった。なかなかいよいキャラクターだったとは思うが翌年の阪神には必要なかっただろうから解雇は正解かと思う。
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