1950年代【2】
最悪の状態で1950年代をスタートしたが、名将松木の元、数年で優勝争いするまでに甦っていった。ところが今度は難波事件の責任をとるかたちで、1954年、その松木が辞めていった。
球団は次期監督の扱いをめぐり、藤村達古参の選手の意見を無視し、反発をまねくするなどし失敗する。仕方なく藤村を兼任監督にするも、1956年オフ、今度は藤村が選手の大反乱にあう。1950年代のタイガースは、舞台裏がまるで落ち着かない状況が延々と続いていった。
1954年
チーム成績
130試合 71勝 57敗 2分 .555
順位
3位
監督
松木 謙次郎
タイトル獲得者
投手
なし
野手
渡辺 博之 (打点王91打点/ベストナイン)
吉田 義男 (盗塁王51盗塁)
記録達成者
6/5 藤村 富美男 1500安打(→1694)
6/27 藤村 富美男 1000打点(→1126)
トレード・テスト入団選手
なし
その他特記事項
4/17 甲子園球場で初のテレビ放送(対巨人戦・NHK)
7/25 没収試合で敗戦(対中日戦)
11/24 岸 一郎 監督に就任
この年の個人成績はコチラ
1955年
チーム成績
130試合 71勝 57敗 2分 .555
順位
3位
監督
岸 一郎 → 藤村 富美男
タイトル獲得者
投手
西村 一孔 (新人王 22勝17敗)
野手
渡辺 博之 (ベストナイン)
吉田 義男 (ベストナイン)
記録達成者
4/12 藤村 富美男 200本塁打(→224)
トレード・テスト入団選手
なし
その他特記事項
3/1 ウエスタンリーグ結成(1955年阪神優勝14勝9敗1分)
5/21 岸 一郎 監督、休養。藤村 富美男 助監督が指揮を執る
2軍成績・順位
24試合 14勝 9敗 1分 .609 1位
2軍監督
河西 俊雄
この年の個人成績はコチラ
1956年
チーム成績
130試合 79勝 50敗 1分 .612
順位
2位
監督
藤村 富美男
タイトル獲得者
投手
渡辺 省三 (最優秀防御率投手1.45)
野手
吉田 義男 (盗塁王50盗塁/ベストナイン)
田宮 謙次郎 (ベストナイン)
記録達成者
5/2 藤村 富美男 1500試合出場(→1556)
5/9 金田 正泰 1500安打(→1527)
トレード・テスト入団選手
なし
その他特記事項
2/1 藤村 富美男 監督(内野手兼任)就任
5/12 甲子園初ナイター
6/27 甲子園初ナイターテレビ放送(対中日戦・NHK)
12/30 「藤村問題」に終止符
2軍成績・順位
36試合 21勝 15敗 0分 .583 2位
2軍監督
河西 俊雄
この年の個人成績はコチラ
1・2・3