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1960年代【2】

フランチャイズ制度の正式導入に伴い保護地域が兵庫県となったことから、1961年に社名を「株式会社阪神タイガース」、チーム名も阪神タイガースに変更。
この期間に2度のリーグ優勝したが、いずれも日本シリーズ敗退。

1964年

日本シリーズ成績

3勝4敗(南海)

チーム成績

140試合 80勝 56敗 4分 .588

順位

1位

監督

藤本 定義

タイトル獲得者

投手
ジーン・バッキー (最優秀防御率投手1.89/最多勝利投手29勝9敗/沢村賞/ベストナイン)
石川 緑 (最優秀勝率投手10勝3敗.769)

野手
吉田 義男 (ベストナイン)

記録達成者

4/15 藤本 勝己 100本塁打(→113)
7/12 渡辺 省三 500試合登板(→550)
8/5 G・バッキー 外人投手として初の20勝(→29勝)
9/1 三宅 秀史 100本塁打(→100)

トレード・テスト入団選手

若生 智男 (投手/東京)
山内 一弘 (外野手/東京) ※以上、小山 正明(投手)、ソロムコ(外野手)、西山 和良(外野手)との交換
本屋敷 錦吾 (内野手/阪急)

その他特記事項

9/30 ペナントレース最終日に対中日戦で、逆転優勝!この試合で全員得点
10/1-10 日本シリーズ
11/2 若林 忠志 野球殿堂入り

2軍成績・順位

48試合 27勝 19敗 2分 .587 1位

2軍監督

白坂 長栄

この年の個人成績はコチラ

1965年

チーム成績

140試合 71勝 66敗 4分 .518

順位

3位

監督

藤本 定義

タイトル獲得者

投手
村山 実 (最多勝利投手25勝13敗/沢村賞/ベストナイン)

野手
吉田 義男 (ベストナイン)

記録達成者

5/2 吉田 義男 1500安打 (→1864)
6/17 谷本 稔 1000試合出場(→1099)
6/28 ジーン・バッキー ノーヒットノーラン(対巨人戦)
7/3 山内 一弘 1000打点(→1286)
10/3 並木 輝男 1000試合出場(→1116)

トレード・テスト入団選手

谷本 稔 (捕手/東京) ※以上、牧 勝彦(投手)との交換
権藤 正利 (投手/東映)
土屋 正孝 (外野手/中日)なし

その他特記事項

10/28 藤本 定義 総監督に、コーチ杉下 茂 が監督に就任
12/22 景浦 将 野球殿堂入り

2軍成績・順位

48試合 24勝 23敗 1分 .511 4位

2軍監督

島田 雄三

この年の個人成績はコチラ

1966年

チーム成績

135試合 64勝 66敗 5分 .492

順位

3位

監督

杉下 茂 → 藤本 定義

タイトル獲得者

投手
村山 実 (最多勝利投手24勝9敗/沢村賞=2年連続/ベストナイン)

野手
なし

記録達成者

6/19 山内 一弘 1000得点(→1218)
7/31 権藤 正利 1500奪三振(→1943)
10/8 本屋敷 錦吾 1000試合出場(→1195)

ドラフト入団選手

1位 石床 幹雄 (投手/18/土庄高)
2位 藤田 平 (内野手/18/和歌山市商)
3位 北角 富士雄 (投手/18/東邦高) ※交渉権放棄
4位 久野 剛司 (投手/22/同志社大)
5位 石井 満 (投手/19/日石カルテックス) ※交渉権放棄
6位 岡村 晃 (内野手/22/関西大) ※交渉権放棄
7位 松原 保雄 (捕手/18/高松商) ※交渉権放棄
8位 下田 典隆 (内野手/18/広陵高) ※交渉権放棄
9位 井石 裕也 (内野手/18/浪速高) ※指名失効

トレード・テスト入団選手

安部 和春 (投手/西鉄) ※以上、本間 勝(投手)、福浦 健次(投手)との交換

その他特記事項

8/13 藤本 定義 監督に就任

2軍成績・順位

48試合 20勝 28敗 0分 .417 5位

2軍監督

島田 雄三

この年の個人成績はコチラ
1・2・3

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