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2005年 2年ぶりの優勝をまたしても甲子園で決める


29日の試合前の段階で優勝へのマジックを「1」としていた阪神。勝てば文句なし、負けてもマジック対象チームの中日が横浜に敗れるか引き分けなら優勝が決まる状態で臨んだ甲子園での巨人戦で、見事に5-1で阪神が勝ち、2年ぶり5回目のセ・リーグ優勝(1リーグ時代からの通算は9回目の優勝)を決めた。岡田監督は1軍の監督としては初めての胴上げとなった。

このシーズンの阪神は攻守ともに戦力が充実しており、2003年の優勝時のメンバーとその後に加わった新戦力がガッチリと噛み合った印象。快足の赤星憲広外野手から始まる打線は、途中から2番に定着した鳥谷敬内野手、そしてアンディ・シーツ内野手、金本知憲外野手、今岡誠内野手の強力なクリーンアップへと続き、さらに後ろには桧山進次郎外野手(シェーン・スペンサー外野手)、矢野輝弘捕手、藤本敦士内野手(関本健太郎内野手)と抜け目のない打線が形成されていました。

2003年優勝の立役者である赤星、金本、今岡、桧山、矢野、藤本の各選手が期待通りの成績を残し、そこに鳥谷、シーツ、関本といった新戦力が期待以上の活躍を見せる。1985年の破壊型の打線とは少し異なるが、いろいろなタイプの選手を揃えた巧い野球をやる打線でした。また、片岡篤史内野手、濱中おさむ外野手らがベンチには控えており、代打陣も他球団がうらやむような充実ぶりだった。

「MVP級の活躍」と評されることも多い藤川投手は、まさにこの年の阪神の「顔」。優勝を決めた29日の試合では79試合目の登板を果たし、プロ野球の最多登板新記録を達成しました。
単に登板試合が多いだけでなく、防御率1.39の数字も素晴らしいものがありますね。ちなみに、同一シーズンに、同一球団に70試合以上登板している投手が2人以上(藤川、ウィリアムス)いるのは史上初めてのこと。残り試合を考えると、久保田投手も70試合登板を果たす可能性もあるため、驚異的な「70試合登板トリオ」が実現するかもしれなかった。

この阪神の中継ぎ・抑え投手陣を支えたウィリアムス、藤川、久保田の3人の頭文字を取った、いわゆる「JFK」が盤石だったことによって、先発投手は「6回まで投げれば良い」と気楽に登板できたことが、それぞれの好成績に繋がっているとの見方も強かった。
その証拠に、このシーズンの阪神は6回終了時点でリードした試合は70勝3敗2分と、逆転負けを喫することがほとんどありませんでした。

打と投の戦力が充実していた印象が強いこのシーズンの阪神でした。

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