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1992年八木裕幻のサヨナラホームラン


1992年9月11日、甲子園球場で行われたヤクルト18回戦。残すところあと9ゲーム、阪神は、巨人・広島とともに首位・ヤクルトと熾烈な首位攻防を繰り広げていた。
阪神・中込伸、ヤクルト・伊東昭光の両先発で定刻通りに試合は始まった。
パチョレック、和田豊のタイムリーで阪神は2回までに2点をリード。
しかし3回表、ランナーをおいて池山隆寛がタイムリーを放ち2者が生還、同点に。ライトの亀山努がクッションボールの処理に手間取る間に1塁走者の広澤克実まで生還し、勝ち越しを許してしまう。
が、そのすぐ裏にオマリーがライトスタンドへホームラン。同点に追いつく。

3−3の同点のまま試合は9回まで進む。9回裏二死。パチョレックがヒットで出塁。サヨナラのランナーが出たところで、打席には八木裕が立つ。投手は岡林洋一。
フルカウントから八木が打った打球は、レフト・城の頭上を越えた。
一塁走者のパチョレックが大歓声の中ホームイン。二塁塁審・平光清の手がグルグル回っている。
「サヨナラホームラン」誰もがそう思った。甲子園のスコアボードにも「2x」の表示が灯る。島野育夫コーチとともに八木がホームを踏む。歓喜のナイン。大歓声の甲子園。

しかし、ヤクルトの城友博、飯田哲也が抗議。ラバーフェンスに当たってからスタンドインしたと主張する。うろうろする野村監督。
結局、審判団の協議の結果、平光塁審が「誤審」を認め、「本塁打」は「エンタイトルツーベース」に判定が覆る。既にサヨナラ勝ちと思い、阪神ナインはロッカーに引き上げかけていた。
ベンチの中村勝広監督に説明する平光審判。

37分間の中断の後、阪神の連盟提訴を条件に試合は再開された。
二死二三塁とサヨナラのチャンスを残したまま試合は再び始まる。が、新庄剛志四球、久慈照嘉センターフライで、結局試合は延長戦にもつれこむ。
延長15回の表、島尾康史が抑えヤクルトの勝ちは無くなる。
15回裏、二死から和田、亀山が連打でチャンスを作る。オマリー敬遠で満塁となり、打席は14回に代走で出てそのまま守備についていた山脇光治。カウント2−1からハーフスイングの空振り三振でゲームセット。このとき時刻は0時26分。

当時プロ野球最長の6時間26分(うち中断37分)に及ぶ死闘は15回引き分けで幕を閉じた。
なお、平光清審判は、この誤審の責任をとる形で、このシーズン限りで審判を辞めた。

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